2023年9月7日木曜日

優生学について

 

自己正当化と優生学について

 コロナウィルスやコロナワクチン、第三次世界大戦による人口削減計画の後ろには優生学という思想があると言われている。とりあえず優生学とはこの場合人口爆発して危機的状況にある地球環境を改善するために健康な有色人種や自国内の下層労働者をワクチン等により人口削減することを指すものとする。連続殺人鬼や性犯罪者、障碍者などに対して強制的にする不妊手術などをする一般的優生学についての私の見解はこの章の一番最後に述べる。

 優生学とは基本的に金持ちやエリートのルサンチマン、被害者意識または恐怖感から来る他人への敵意を思想化したものである。ほとんどの金持ちやエリートは、私たちは税金を多く払いすぎて損しているという被害妄想を抱く。(実際には労働者や発展途上国を搾取しているから高額所得者なのでまともな頭があったら、加害者意識を抱くはずだが、資本主義社会のほとんどの卑賤な勝者、幸福な卑怯者はマネーに洗脳されていて、小我による自己正当化し、自らの加害者意識、罪悪感を忌み嫌うことに疑いを持たないので被害者意識を決して捨てられない。)そのため彼らが無駄飯ぐらいと思う失業者やいくらでも替えが効くと思う下層労働者を人口削減しようと思う。

また少数のちょっとはまともな頭を持った金持ちやエリートは自分たちが搾取の限りを尽くしている労働者や発展途上国の人々からいつか報復されるのではないかという当然の恐怖感を持つ。そのためやられる前に叩き潰そうとワクチンなどで人口削減しようとしたり、第三次世界大戦を起こして中国などの新興国を焼け野原にして、発展途上国の人々が決して反抗しないようにさらに強く恐怖で支配しようとし、それを正当化する優生学を愛する。

現在の人口爆発の解決策としては、もし加害者意識を強く持っている人間なら、優生学ではなく、禁欲的に反出生主義を選択するはずだし、中庸な人間ならとりあえず発展途上国を経済援助しながら、発展途上国と信頼関係を築いて、そののちに発展途上国と腹を割って話し、なんとかして発展途上国に産児制限を取ってもらおうとするはずなので、優生学的に他人を人口削減することにより人口爆発問題を解決することは愚劣な解決策だが、卑賤な金持ちや卑怯なエリートはどうしてもその卑賤さ、卑怯さゆえにそういう解決策しか思いつかない。

またより大きな視点に立てば、優生学とは小人が望む理想社会を追求した結果だということもできる。職場や学校など自分の身の回りにいる小人を思い浮かべてみれば分かると思うが、小人というものは皆、自分にとって居心地のいい社会を作ろうとする。具体的には自分と気の合う人たちだけの温かいコミュニティを作ろうとし、かつ自分とは気の合わない人を冷たく排除しようとする。その結果、職場でも学校でもいくつかの集団ができ、全体として職場や学校は分断され、恐怖と敵意に満ち満ちた場となる。

自らの気の合わない人や弱者を排除しようとする残忍さ、敵意がこのような場を作ったわけだが、小人は被害者意識に凝り固まっていて、自らの差別愛を決して否定できないので、自らの敵意を肯定しようとして庶民の小人は実力主義者、自由競争至上主義者となり、金持ちやエリートの小人は優生学を信仰するというわけである。

もし大人ならば、みんなにとって居心地のいい社会を作ろうとするはずである。具体的には気の合わない人同士もお互い排除せずに、距離を取って付き合い、お互い尊重しあって和やかに暮らせる社会を築こうとするはずである。つまりみんなが気の合わない人を排除しようとしあえば、マクロ的に社会は地獄のようになってしまうというくらいは大局観のある知性であれば分かるので、一人一人が自律して、自らのルサンチマン、被害者意識、恐怖感を自らで解消し、他人への無条件の敵意に変化させずに生きることを求めるような社会を作ろうとするはずである。

みんなが大人になり、大局観を持てるためには何が必要なのかというと、他の生物の犠牲の上で生きることに対してきちんとした加害者意識、罪悪感という陰の感情を大切に持ち続けることである。

不自然なまでに明るく自分に対して肯定的に生きようとして、人間として自然な感情である自らの中にある加害者意識や生きていること自体に感じる罪悪感などの自分に対して否定的な感情をを見て見ぬふりをして、決して自律的に生きようとしないキリスト教的な軽薄な思想が人類社会を現在のように地獄のような社会にしていることに人類もそろそろ気づくべきであるということである。

最後に連続殺人鬼や性犯罪者、障碍者などに対して強制的にする不妊手術などをする一般的優生学についての私の見解を述べてこの章を終わろうと思う。

 個人的には私は死刑肯定論者なので連続殺人鬼や性犯罪者については、不妊手術をするべきというよりもさっさと死刑にすべきだと思っている。ただ情状酌量の余地がある連続殺人鬼や性犯罪者や冤罪の可能性のある連続殺人鬼や性犯罪者で政治的に刑罰を与えなければおさまりがつかないような場合は死刑にすることはできないのでその場合強制的に不妊手術などをすることを私は否定はしない。

 しかし障碍者に不妊手術を強制する優生学には私は反対である。私自身手帳持ちなので、夫婦どちらとも一人前に働けない障碍者で子供を作りたいという人々が極めて利己的で(性格のいい障碍者はそもそもみんな反出生主義的で、自分の子供を作りたいとは思わない)、到底まともな子育てをする能力がないことはよく知っているが、だからといって他人が「あなたは生産性がないから子供を作ってはいけません」などと言うべきではないと思っている。

 そもそも猿や人類の集団や社会というものは、みんなが明るく温かい気持ちで暮らすことを目的としてできたというのが私の見解である。みんなの利の最大化を目的とする会社などの営利組織とはその点が根本的にちがうものなのである。確かに営利組織なら生産性の低い人や他人に迷惑をかける人は排除されるべきと短絡的に考える人がいるのもまだ分かるが(上述しているように営利組織でもそういうことをしていたら、組織の中が敵意に満ち溢れてしまって、決して上策だとは思わないが)、社会という共同体はもっと他人に対して寛容であるべきだと思っている。

 率直に言うならば、明るく温かい社会を作りたいと思っている人は必ず弱者を幸せにしたという理想を持っているので、優生学に反対するものだ。確かに客観的に見て一人前の稼ぎのない夫婦が子供を作ろうとすることは無責任だが、それを他人が否定しようとすると間違いなく社会は暗く冷たい合理的な社会になってしまうので私は現在のところは障碍者に対する優生学には反対の立場であると表明しておく。

 ただ将来的には信用ポイント制度の導入で人々は各々の道徳性によって中庸社会と公正社会に分かれていくものだと思われる。その時ともかく合理的な社会を望む公正社会に住む人たちの間で、優生学が全面的に採用されることはまぁやむを得ないことだとは思っている。

 ただ現在、「生産性の低い発展途上国の貧乏人は死ね。かわりはいくらでもいるんだ。この無駄飯ぐらいども」と発展途上国の人々を罵倒していた欧米の白人たちが、ブリックスに包囲されて、「お前が一番無駄飯ぐらいなんだ」と言われて絶体絶命の立場に立っているように、最終的には障碍者に対して優生学を主張する人達の未来は暗いものとなるであろう。

 他人を全く尊重せず、自分に都合の良い損得勘定で他人を排除したり、自分の他人への敵意を正当化する者は、遅かれ早かれ他人から何の情けもかけられることもなく、合理的理由から排除されたり、虐待、虐殺されるものなのである。

 因果応報ということわりはないようで見えて、必ずあるものなのである。

 

                 完