2024年9月19日木曜日

ポストモダニズムについて

 

ポストモダニズムについて

 正義というものにあまり価値を置かない人のよくある意見として、自分が絶対に正しいと思っている人は独善的で他人に自分の正義を押し付けようとし、それにより社会を息苦しくさせるので、少なくとも自分を絶対に正しいと思ったり、自分が悪だと思う人や団体を憎んだり、罰しようとすべきではないという意見がある。つまりこの世には普遍的正義などなく、各々が持つ正義はあくまで相対的なもので人の数だけ正義というものはあるものだから、基本的に対社会的行動はあくまで保身と損得勘定を行動規範とすべきだという意見である。

 このような意見が近代において先進国において多数派を占めることにより、上級国民が調子づき自己正当化に自己正当化を重ね、明らかに長期的に見れば人体に有害なコロナワクチンや抗がん剤、抗精神病薬などを無知な患者に投与して多くの死傷者を出しながら金儲けすることを正当化してきた。また大きく見れば先進国が発展途上国を搾取することを先進国社会は正当化してきた。

 さて、本当に正義というものは相対的なものであり、立場により無数に存在するというポストモダニズム的意見が正しいのかというと、古今東西の聖者、賢者と同じく私は否という。

簡単に言うとポストモダニズムが想定している正義とは、各自の小我が自らを正当化するためのただの屁理屈にすぎないもので、本当の正義とは各自の大我が正しいと思った概念であり、この各自の大我が正しいと思った概念、正義は普遍的、人類共通なものであると私は思っている。

小我が自らを正当化するために作った偽の正義と大我が正しいと思って作った本物の正義との違いは小我が自らを正当化するために作った正義は、基本的に自らが得をするために作った正義だから、その正義のためにそれを主張する人は損することはできないのに対して、大我が正しいと思った正義のためには、それを主張する人は損すること、時にはそのために命をかけることを躊躇しないということで見分けることができる。

おそらくコロナワクチンや抗がん剤、抗精神病薬などで多数の死傷者を出しながら金儲けしてきた医者や製薬会社などのDSの直接の関係者は今後第三次世界大戦に勝った反DS勢力により全財産没収されることになると思われるが、ここで思想的に今までDSを支えてきたポストモダニストの主要な宗教家、哲学者や思想家、作家たちの動向が注目される。

私自身は上記で述べた通り、ポストモダニズム(敵を愛せ! 悪人を許せ! 悪人を憎むな! 善悪を基準にして行動するな! 損得勘定だけで動け!)などという思想(つまり発展途上国の罪のない子供たちの不幸は見て見ぬふりをして、先進国の悪党、寄生虫にはもっともっと同情し、寛大に接するべきであるという思想)はただの偽善思想、偽善哲学だと確信しているが、もし私の意見が間違っていてポストモダニズムが大我によって作られた正真正銘の正義だとしたら、ポストモダニストの宗教家や哲学者や思想家、作家などは自らの保身や損得勘定を全く顧みず、たとえ自分が全財産没収されようとも、たとえ反DS勢力の逆鱗にふれ、自分が断頭台の露に消えることになろうとも徹底的に自らの正当性を主張し続けることが予想されるからである。

私自身はもうすぐ死ぬので、ポストモダニストたちの反論の詳細を聞くことはできないが、もし多くのポストモダニストたちが自らの財産、命を顧みないで自らの正当性を主張するようなことがあったとしたならば、とりあえずそのポストモダニストたちは全員殺処分したのち、後世の人はもう一度ポストモダニストたちがどんな感情に基づいて、敵を愛せ、悪人を許せ、悪人を憎むな、無抵抗主義に徹せよ、と主張しながらギロチンの露と消えていったかを慮り、ポストモダニズム(キリスト教的価値観の最終形態)について本当にただの小悪党の考えた自己正当化、ただの自己愛及び自己愛を拡大した醜い差別愛だけに基づいた思想であったのか、もしくは現代の東洋人の私たちがまだ知らない感情に基づいた本物の正義だったのかを再考すべきだとは思っている。

 

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