2024年6月10日月曜日

西洋諸国の徳による統治システムについての私見

 

西側諸国の徳による統治システムについての私見

西側諸国の非公式の統治システムについてちょっとひらめいたのでメモしておく。

まず前提認識として西側諸国の政治は上級国民が半永久的に上級国民であることを最大の目的として行われている。その手段として西側諸国は公正さと偽善という悪徳によって民衆を統治している、という共通理解のもとに以下の説明をする。

 

公正さという徳は666のハンドサインで有名なフリーメイソンが担当し、偽善はバチカンが担当している。

公正さという徳がどういう徳か、偽善という徳がどういう徳かというと、中核信念 橘謙信公式ブログ : 寛厚と公正さについて 1 (kensintachibana.blogspot.com)

中核信念 橘謙信公式ブログ : デフレ克服法 1 (kensintachibana.blogspot.com)というエッセイにすでにある程度書かれていると思うが、いまから34か月以内にそれについて改めてエッセイを書いてアップしようと思っている。

とりあえず、ここでは公正さとは、どんな凡人でも認識できるような客観的基準から見て優秀なものを正しいという意味で考えてくれればいいと思う。つまり公正な基準(どんな凡人でも認識できるような客観的基準)において実力のある優秀な人とは金持ちと高学歴エリートということになり、公正な統治方法とは金持ちと学歴エリートによる統治ということになる。

また公正さが目指す実力主義的な社会とは金持ちと学歴エリートが君臨する格差の大きな社会であり、公正さは弱肉強食を肯定するので、当然先進国が発展途上国を搾取することを肯定する。逆に言えば格差の小さい相互扶助社会やお互いを尊重し共存共栄を目指す国際関係を公正さは否定する。

また公正さは各自が自分の利を最大化しようとする欲望、利己主義を前提として正当化しているので、公正さという徳を突き詰めると奪い合う社会、騙しあう社会を肯定することに必ずなる。(逆から言えば信用社会は公正な社会ではないということである。)

つまり公正さという徳を極端に突き詰め正当化しようとすると、必ず悪を肯定することとなり、宗教的になると悪魔崇拝になる。

つまり公正さの極限、フリーメイソンのトップが現在のガザでのジェノサイドを命令しているし、第二次世界大戦時のナチスドイツのユダヤ人ジェノサイドも命令していたし、植民地時代アフリカやアメリカ大陸で原住民の虐殺を命令した主体だと考えてほぼ間違いないであろう。

 

フリーメイソンは表向き実力主義、つまり公正さを至上価値とする団体であるが、フリーメイソンが誰によって何の目的で設立されたかというと、もちろん上級国民によって、上級国民(金持ち)が半永久的に上級国民であり続ける世の中を維持することを目的として、そのための手段として自分たちに忠誠を誓う学歴エリートを養成する目的のために作られた。

ここでフリーメイソンという組織がどういったシステムかよく知らない人のために、フリーメイソンのシステムについて簡単に述べておく。

日本でも有名進学高校や有名大学で学年の12位を争うような優等生にはフリーメイソンに入会しませんかという誘いがフリーメイソンの方から来る。フリーメイソンに入会して、上級国民に忠誠を誓うと、その優等生はその後の人生において高級官僚や一流会社の会社員になった時、さまざまな局面で上級国民から口添えをしてもらうことにより、人並みの実務能力を持っていれば極めて順調に出世しやすくなる。その出世の見返りとしてそのフリーメイソンに入会した学歴エリートは自分が国家の重要官僚や一流企業の重役となった時は、上級国民の利権や、上級国民が庶民を搾取するシステムの維持に全面的に協力する。要するに上級国民(金持ち)と学歴エリートの相互扶助システムがフリーメイソンというシステムであるといっていいだろう。

日本にもフリーメイソンは存在するが、基本的には日本では創価学会が準フリーメイソンシステムとしてある。ちなみに日本では創価学会員やフリーメイソンの学歴エリートの上に君臨している上級国民は皇族や明治維新の元勲と呼ばれるエタ侍の子孫であると思われる。

公正さ(能力主義、エリート主義)という価値観は相互扶助や共存共栄に比べて確かに被害者意識に凝り固まった人には理性的に納得感はあるが、普通の庶民は直感的に不信感を持つので普通の庶民は学歴エリートや上級国民に反感を抱くのは当然の感情といえる。

その庶民の当然の感情を反体制運動という行動に移させないためにバチカンという偽善が存在する。

バチカンは庶民に敵を愛せ、敵を許せときれいごとを言う。そして今の自分の生活に日々感謝しながら生きることが大切だと言う。バチカンの言うことを真に受けた庶民は無抵抗主義こそ正義だと信じ、日々の生活に感謝することによって自分の心の中の良心の反映である加害者意識から目を背け、小我を許すことを正しいことだと思うようになる。

また加害者意識から目を背けた結果、被害者意識に凝り固まった庶民はともかく平和で波風の立たない人生を望むようになり、危険を顧みず正義感を持って悪を憎んで生きることは愚かなことだと思うようになる。つまり善人の沈黙をするようになる。

マーティン・ルーサー・キングも善人の沈黙は悪人の圧政や残虐さの隠れた同罪者であると言っているし、古代日本でもともかく波風の立たない平和な人生を望むことは天津罪を犯しているとされていたように表面できれいごとを言いながら悪を許し、ともかく波風の立たない平和な人生を望むこと、つまり偽善をなすということは悪の一種なのであるが、バチカンはともかく偽善を宗教的に飾り立てて庶民を偽善者にしようと誘惑する。

また敵を愛せ、悪党を許せ、今の生活に感謝しろということは、被害者意識に凝り固まり、無気力になれ! 無気力になれない人間は被害者意識に凝り固まり公正さ、実力主義を愛せ!ということなのである。

 

このように公正さと偽善という二つの悪徳により西側諸国は統治されている。

 

偽善を司るバチカンのトップはローマ教皇で間違いないのだが、フリーメイソンのトップは誰かということが第三次世界大戦を終結させるうえで今、問題となっている。フリーメイソンのトップはネットではルシファーとされていて、ルシファーが公正さを司る悪魔なら確かにそれできれいにフリーメイソンシステムを説明できるが、トップがただの公正さという概念であり、空席だとするならば組織として機能しないのでやはり実質的には人間のトップがいると考えていいであろう。それが誰なのかというと、やはり欧米の最大の権力者であり、上級国民であるローマ教皇であると考えるのが一番自然であろう。

ローマ帝国が滅亡し、欧州の最高権力者を人間ではなく、表向き空席としたことによって公正さという悪徳が歯止めが利かなくなり、上級国民が半永久的に上級国民であるためにはいかなる残虐行為を許されるとしたことが白人が悪魔ようになった最大の原因なのだろう。植民地時代アフリカやアメリカ大陸で原住民を虐殺することやナチスドイツやイスラエルがジェノサイドを起こすことを命令した黒幕がローマ教皇だったと考えると、ナチスドイツのヒトラーやイスラエルのネタニヤフが公然とジェノサイドという国家犯罪を犯した動機も説明がつく。つまりナチスドイツのヒトラーもイスラエルのネタニヤフもローマ教皇の命令に背くことは、欧米で民族として存続していくためにはどうしてもできないと判断したから、ジェノサイドという国家犯罪を犯したということである。

 

 


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