寛厚と公正さについて
古代ギリシャには寛厚(エレウテリオテース)という美徳があったと「ニコマコス倫理学」でアリストテレスは伝えている。寛厚という美徳がどういうものかというと、しかるべき人にしかるべき財産を積極的に与える、という美徳である。なぜ寛厚という美徳が現代から消え失せてしまったのかというと公正さという西洋近代人が至高とする正義に反していたからであるが、寛厚と公正さについて哲学的に語る前にまずは寛厚という美徳が現代にどれだけ必要とされる美徳であるかということと公正さというものが一見美徳に見えるが極めて問題のある徳だということについて具体例をもって説明しようと思う。
現代日本では病気や怪我などで一定期間働けなくなってしまった人や障害者、シングルマザーで、生活に困窮している人には一応生活保護制度というものがあり、最低限の爪に火を灯すような生活を送るための生活費は国から支給される。実際問題としては生活保護を受給することは極めて高いハードルを超えなければならないのだが、ここではその問題に触れず一応生活保護を受けられるものとして、病気や怪我などで療養している生活保護受給者や障害者やシングルマザーの生活保護受給者が直面している最大の問題である生活保護期間中のアルバイト問題について語ろうと思う。
重労働や精神的ストレスの強い職場で病気や怪我などをして生活保護を受けながら療養している人がある程度回復してきた時ありあまる暇を使って、いままで自分が経験したことのない肉体的精神的に楽な仕事を探してリハビリがてらに短時間のアルバイトにチャレンジしたいと思ったり、障害者やシングルマザーでフルタイムで働く時間やストレス耐性はないが、短時間アルバイト程度はできる時間またはストレス耐性のある人が生活に少しのゆとりを得るためにアルバイトをしたいと思った時、アルバイト収入の控除額という問題に直面する。具体的にいうと生活保護受給者が時給1000円で月に70時間働いて7万円稼ぐと5万1140円を国に奪われ、手取りで1万8660円しかもらえないという問題である。要するに生活保護受給者には時給270円程度の奴隷労働しか許さないという問題である。
確かに公正さという観点から見れば生活保護受給者はすでに生活保護費で最低限の生活費を支給されているのだから他の貧困者から見て逆差別にならないように、もしアルバイトをして7万円収入を得たらそのうちの5万1140円は国がもらうのは当然ということになるが、常識的に考えて生活保護受給者だからといって働きたければ時給270円程度で働け、というのは差別だともいえなくもない。現実問題としては生活保護受給者は時給270円程度で働くのは馬鹿らしく思い、無気力になり、病気や怪我で療養している人は生活保護期間中、社会復帰のためのリハビリを全く行わず、無職のまま過ごし、生活保護が切れるといきなりフルタイムで今まで通りの重労働や精神的ストレスの強い職に就いて、その結果また体を壊し生活保護に舞い戻ってくることになる。シングルマザーの女性は育児期間中は最低限の生活保護費だけで過ごし全く社会参加せず(仕事は上記のように奴隷労働しかないし、ボランティアや友達との交際にかける余分なお金は生活保護費から捻出できないから)、育児が終わって社会に戻ると生活保護期間中何のキャリアも積めず、人脈もなかったため、また多くのシングルマザーは社会人としての無知さも加わり(社会人として人並みの知識を持っているかどうかは多くの人も自信がないかもしれないが基本的に分からないことを質問できる、相談できる仕事仲間、友人、知人がいる人が社会的無知であるということはありえない)セクハラ、パワハラのあるきつい下積みの仕事をしてその後一生貧困層として生きることになる。障害者は一生生活保護を受けられるが、最低限の生活費しかないため同じ障害を持つ友人などと気晴らしに喫茶店で雑談することもできず、一生友もなく一人ぼっちで不幸な生活を送ることになる。
全体の利からいっても、この人手不足の日本で少しでも労働力を確保し、また少しでも多くの人に所得税を収めてもらうためにも生活保護受給者がアルバイトをすることは推奨されるべきことである。福祉の基本的理念からいっても重労働で心身が傷ついた生活保護受給者がリハビリのため、またゆとりをもって新たな業種の職にチャレンジすることは、推奨されるべきことであるし、障害者が人との触れ合いを持てる交際費を捻出するためにアルバイトすることは当然推奨されるべきことである。シングルマザーがアルバイトして得たお金で子供のために参考書を買ってやったり塾に通わせてやって貧困の連鎖を防ごうと思ったりまたは子供の部活の費用を捻出し子供に人並みの青春を味あわせたいと思うことは人として当然の感情と是認すべきであることも自明である。
この生活保護受給者のアルバイト代から収入認定して5万1140円没収せず、生活保護者にまるまるアルバイト代を渡すこと、つまりアルバイトする生活保護受給者が人より少しだけ得をすることを許容するゆとりのことを寛厚の美徳というのである。抽象的に言えば寛厚とはケチくさい公正さと思いやりとの中間にある全体の利への配慮のある中庸の美徳であるといえる。
明日に続く
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