2020年12月8日火曜日

デフレ克服法 1

 

デフレ克服法 

一応はじめに十分な構想を練って書き始めたのですが、文章を書いている途中でひらめいて哲学的発展をしてしまったため、グダグダな文章になってしまいました。4・5年先に本にするときはもう一度構成を練り直して流暢性をもって書くつもりですのでとりあえず今現在の文章の下手さは見逃してください。

 

 

デフレとはどうして起きるのか、及びデフレの克服方法について語ろうと思う。

まずデフレとはどうして起こるのかというと平和な時代が長く続きすぎ(大体大戦争後または内乱で供給施設が壊滅してから後7080年ほど経ってしまって)民衆の需要が頭打ちになり、そしてその需要に見合う工場やその他の供給力がすでに世界に整備されているのにも関わらず、さらに産業界に新規事業者が押し寄せ供給過剰になったことが原因になり起こるものである。

またデフレの定義を一般的に言うと、産業界にそれまで需要過剰時に起こっていた企業間でお互いの商品の品質や魅力を向上させ合うような切磋琢磨という競争がいつの間にか供給過剰になりつぶしあいというお互いの会社の倒産を望み合うような競争に変わることをいう。具体的にいえばデフレとは商品の低価格競争による物価の下落と商品の低価格競争をする一貫として人件費の切り下げ競争が起こりそれによる実質賃金の低下による、国家経済の不況、つまり低いもしくはマイナスの経済成長をいう。

需要過剰時には各自が自分の利を最大化しよう、つまりともかく競争に勝利しようとだけ考えていても神の見えざる手が働き自然に切磋琢磨という全体の長期的利から見て好ましい競争が起こっていたが、供給過剰時に各自が何も考えず自分の短期的利を最大化しようとすると神の見えざる手が働かず、悪魔の見えざる手が働き、つぶし合いという全体の利、長期的利を毀損する短期的利を追求する競争が起こってしまうという認識こそがデフレがどうして起こるのかという理由を理解するうえでの最大のポイントである。

またデフレの原因を現代の株主資本主義、金融資本主義に求めることもできる。現代の株主資本主義、金融資本主義の最大の問題点はどこにあるのかというと農業や製造業、小売業などの労働にはお金を稼ぐという利己的な動機があるのと同時に何らかのモノやサービスを社会に提供するという社会貢献という利他的な動機、目的がある。つまり労働とは自分を幸せにしようと思って他人を幸せにする道であり、また他人を幸せにしようと思って自分が幸せになる道である。それに対して個人投資家や証券会社の投資は純粋に1円でも多くのお金を稼ぐという利己的な動機しかないギャンブルであることを本質とする。そして純粋に利己的に行動する投資家、株主が国家間に法人税の切り下げ競争を求め、企業間には株主資本配当率の引き上げ競争、労働分配率の切下げ競争を求める。このことにより金が循環せず投資家、株主だけがどんどん富を蓄積していって、労働者、大衆から金が奪われていき、格差社会になり、その結果需要が減少していく。つまり株主資本主義とは本質的に他人を不幸にして自分が幸せになろうと追求することともいえる。そういうわけで株主資本主義はデフレの原因となるのである。

また現代の金融資本主義はデリバティブによって信用創造を極大化させ企業が借金をしやすくし、その金で企業が供給力を強化し、より企業間のつぶしあいの競争を激化させデフレを促進させるとも言うことができる。また企業は借金した金で自社株を買って株価を上げてその企業の株主が儲けさせること、つまり株主資本主義を後押しすることを目的とすることで金持ちをより金持ちにし、貧乏人をより貧乏人にすることによって需要を長期的に見れば縮小させデフレの原因となるということも言える。

また哲学的に見れば公正さという価値観を民衆が至上価値とすることにより、デフレを後押しし、より悪化させているとも言える。ここで注意しなければいけないことはインフレ時代は前述しているとおり各自が自分の利をともかく最大化させようとする公正さという徳(利己的な自由で公正な競争至上主義)がはびこっても神の見えざる手が働き、結果は一応我慢できるものにはなるが、供給過剰時、デフレ時には利己的な自由で公正な競争(公正さという徳)は99%の人に牙を向いてくるということである。公正さという徳は上位1%から見た公正な社会を求める徳なのだが、その公正な社会とはともかくみんなが納得のできる社会を意味する。そもそも経済とは経世済民という言葉に由来があり、本来国民全員がゆとりをもって健康的かつ幸せに暮らせる社会を作る方法を考えるものであって、みんなが一応納得するが99%の人が不幸になる社会を作ることを目指すものではなかった。だが、そのことはひとまず置いておいて、とりあえず今は悪い公正さが作ろうとする公正な社会とはどういうものか分析してみよう。

知能の低い大衆が理性的に納得する社会とは安全で効率的、合理的でなければならない。つまりその社会は無駄がなければないほどいいし(つまりゆとりのないギズギズした中央集権的社会を大衆は望む)、また大衆は自律的でなく他律的、依存的でエリートのトップダウンにより強制的に働かされて、何も考えなくても自然に金を得ることができる社会を安全な社会とみなす。また大衆が意識上よく認識できる価値観、損得勘定と勝ち負けですべてが体系的に説明できる社会が望ましいと大衆は思う。(つまり被害者意識に凝り固まった大衆はみんなが幸せになる道を話し合おうとするよりもみんながお互いを尊重することも信頼することもなく、単純に損得勘定だけで行動し、その結果競争に勝った一番利にさとかった者が勝利を手に入れ、利益を総取りする社会に納得する。)

無駄のない効率的な社会、短期的全体の利を追求する社会とは長期的に見れば弱肉強食を信条とし、必ず他国と際限のない軍拡競争することにより99%の国民を貧しくする。または結局公正さとは社会における勝者の為の無駄のない効率的な社会を作ろうとすることだから最終的に奴隷制社会を作ろうと目指す。そういうわけで基本的に大衆は貧しくてプライバシーのない奴隷となる運命だが、今の非正規社員に対する正社員の傲慢無礼な態度を見ても分かる通りほとんどの大衆は恥知らずの低脳な小悪党であるから長期的視野など持ち合わせておらず自分は支配者の側に回れると確信して1%の勝者のための公正な社会の構築しようとすることに異議を唱えない。

 

 

 

               明日に続く

 

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