また大衆というものは臆病者だから、できるかぎり自分自身は一生安全圏の中で生活したいと願う。民衆は本質的にリスクある贅沢な生活よりも安全で安定的な質素な生活を望むものなのである。より安全圏の広い社会とはゆとりある他人にやさしい利他的な社会なのではあるが、大衆がどうしても捨てられない他者一般に対する敵意が他者にゆとりある生活を与えることを拒むので、代わりに大衆は運が作用するような(意識的に予見できないような)あいまいな選択肢が少なければ少ないほどいいことだとして、なるべく運が人生に作用する確率を減らし、できるだけ目に見える肩書き、学歴ですべてが決まる社会、つまり減点方式で人を評価するギスギスした階級社会を望ましいとする。
真のチャレンジすることには恐怖感がつきものだし、恐怖感を克服してチャレンジしてこそ人は真に成長するものだが、大衆は真にチャレンジして社会に有益な貢献をした者が成功するのではなく、基本的に恐怖感の伴わない偽のチャレンジ(テスト勉強)によって社会的勝者と敗者が決まり、所得格差が決まる社会が望ましいとする。
大衆がいかに恐怖を忌避し、減点法で人が評価される社会が望ましいと古来から思ってきたかは法律を見ても分かる。法律では殺人など悪いことをした人は刑務所に行き罰を受けるべし、と書かれていても世の中にとっていいことをした人には何か褒美をとらすという規定がない、つまり法律とは本質的に減点法のルールブックなのである。
減点法で人事が評価される世の中とはつまり何事も現状維持を心がけ失敗しない人が評価される世の中、つまり何もチャレンジしない人が一番評価される世の中なのだが、そういう世の中ではデフレは克服できない。なぜならインフレ時には神の見えざる手が働いていたがデフレ時には神の見えざる手が働かないので、デフレ時には神の見えざる手に代替するシステムを新たに考え、積極的に導入し、それを維持管理しなければなければならないからである。つまりデフレを克服するためにはどうしても世の中をいい方向に変革する人を加点法で評価しなければならない。
また大衆は恐怖感を感じないためにできる限り他人を信用する必要のない社会を望むため大衆は社会に過剰な透明性を要求し、プライバシーの自由の全くない監視社会を望む。つまりそのように各人がお互いを敵視し合い、お互いが陰でズルをしないように監視し心の余裕のない(つまり無駄のない、合理的に)、正々堂々とただ自分の利を最大化させようと全ての人が考えているシンプルな社会で自分の幸せを築きたいと考えるのが大衆であり、また大衆の愛する公正さという徳の本質なのである。
また上記のとおり公正さは他人への不信が基盤にあるため公正さを愛する大衆は必ず短期的利の最大化を強く求める。(長期的利を最大化させるためには他人への信頼が必要不可欠だからである)そのことによって資本主義の本質である長期的大局的努力が不可能になり公正さがその意味でもデフレを悪化させる要因となることが理解できよう。
上記のような理由でデフレは起こるわけであるから、その解消法は神の見えざる手の代替として、及び自由競争の代わりに談合することになる。具体的には移民の禁止や派遣制度の廃止等を行い、労働者間で雇用の奪い合いによる賃金の切下げ競争、雇用の過剰流動化を回避し実質賃金の向上と雇用の安定化を目指し中間層を拡大させることによる需要の拡大を目指すことについて話し合うこと。また国際協調によって地産地消を推進することとし、そのことによって各国が分厚い中間層を作り、グローバル時代よりは小さいけれど、格差の少ないより健全でより幸せな社会を作ることによるゆとりある社会の創造と需要の拡大の追求をすることについて話し合うこと。企業間でつぶしあいの競争をやめさせ、かつ個人が心のよゆう、ゆとりをもつために国際協調による全世界の工場の深夜操業の禁止をするについて話し合うこと。企業間で談合、話し合いをすることによって企業間の競争をつぶしあいから切磋琢磨に変えること。また企業間のつぶし合い緩和のために新規参入事業者を許可制にすることについて話し合うこと。また抽象的に言えば自分の幸せ、勝利を人生の目的とするのではなく自分が人間的に向上すること及びみんなで幸せになること、次世代に幸せな社会を残すことを人生の目的とすること。公正な社会(みんなが納得する社会)を作ろうと目指すのではなく、中庸な社会(みんなが幸せになる社会)を作ることを目指すことがデフレを解消する根本的な方法といえる。
上記のような解決方法を実行することによりデフレは克服できるが、もう少し上記のデフレ克服法の詳細な分析をしてみよう。
明日に続く
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