2024年1月15日月曜日

正義と差別愛、どちらが大切かということについて  3

 

また差別愛は自己愛と無差別愛の中間にある中的であり、人間にとって自然な感情であるのに対して、アフリカの飢えた子供たちを救うために在日朝鮮人を追放したり、エタを一人っ子政策により絶滅させようとする正義というものは、無差別愛だけを前提とする極めて不自然で非人間的な美徳なので、正義よりも差別愛を大切にすることが人間的で、人道的なことなのだという意見がある。 

(図Bを見る)

 


この意見に対する反論としては自然に任せておけば、肥沃な田畑もすぐ何も生み出さない荒野になり、実り豊かな里山も生物の少ない原生林になってしまうように、人間にとっても他の生物にとっても世界への良き人為的な介入はすべての生物にとって望ましいものであるという二宮尊徳の教えを持ってしたい。正義という鍬で日々、俗世間を耕してこそより多くの弱者が屈辱的な生活から解放されるし、悪党は不幸になり、結果、よりみんなが幸せになる世の中が作れるのである。人道はあくまで作為の道で会って自然の道ではないのである。

確かに差別愛は自己愛と同様に自然なもので悪しきものというわけではないが、悪の前提感情となるもので決して一定以上に尊重してはいけないものであるということである。つまり差別愛と表裏一体である他人への敵意を肯定してはいけないし、弱者の不幸を見て見ぬふりをすることも肯定してはいけないのである。

 

最後に差別愛というものを哲学的心理学的ににもう少し深く分析し、批判してみる。

差別愛主義者の特徴は自分は全く非のない人間、罪のない人間だと思っていることである。逆に無差別愛主義者、加害者意識をきちんと持っている人間は、自分の心はもしかしたら純粋無垢で罪がないものなのかもしれないが、この世界における自分の存在は、数々の動植物の犠牲や発展途上国の人々の犠牲の上に立たざるをえない罪深いものだと確信している人間であり、それに対して罪悪感を持っている人間である。

つまり差別愛主義者は心の弱さから自分が生きているという罪、この世に人間として存在している罪を直視できない人間である。そのことによってこの世界の摂理、全体像も把握できなくなり、差別愛主義者は自分自身をより愚かに、より罪深くさせているのである。

(図Cを見る)


 

なぜなら自分には全く非がない、罪がないと思えば、人は必ず他人や世界を恨み、被害者意識に凝り固まる。被害者意識に凝り固まった人は必ず自分のことにしか興味がなくなり、他人への気遣いも思いやりも良心も捨て、ともかく他人より得したい、幸せになりたいと思う。ともかく他人より得したい、幸せになりたいと思いつめると、必ずこの世界は弱肉強食のゼロサムゲームだとしか思えなくなり、味方(差別愛の対象)以外の他人は敵だと思うようになり、自らの心の中の他人への敵意を正当化するようになる。

そういうわけでこの世界では、ちょっとした心の弱さから自分の存在に非がないと自己正当化してしまう人は必ず卑劣な極悪人、偽善者となるのである。

 

また発展途上国の飢えた子供たちよりも国内のエタや在日朝鮮人の幸せを優先させようとする差別愛主義者は一見すると悪人をも許すどこまでも他人に寛容なヒューマニストに見えるかもしれない。しかし結局、悪人を許すということは、自分の醜く卑劣な小我を許すということと同一なのである。つまりこの弱肉強食の世界を肯定し、弱い善人の不幸を見て見ぬふりをすることによって弱者への敵意を不作為によって表明する極悪非道な自分というものを正当化、肯定することと同一なのである。逆を言えば、悪人を許さない人は自分の醜く卑劣な小我を許さない人間であり、悪を憎み、正義感を強く持つ人間である。自らの小我を律することは自分の大我(魂の高貴さ、弱者への思いやり、良心など)を守ることと同一なのである。

 

要するに死の恐怖に怯え、各々の小我からみると対立しあっているこの世界において差別愛に凝り固まるということは、赤の他人への敵意に凝り固まり赤の他人の弱者は不幸になれ! と願うことと同じことだし、無差別愛、大我を大切にして生きるということは、弱者の不幸に同情し、悪を憎み、クズは不幸になれ! と願うことと同一なのである。

差別愛に凝り固まっている人は、この世界に対する大局観に基づく感情、大悲というものが欠けているのである。要するに差別愛に凝り固まっている人は人間として成熟していないから耳ざわりのいいきれいごと、偽善に心を奪われてしまうのである。

こういう差別愛主義者は結局、自分が利を追求することを無条件に肯定してくれ、小我の欲を叶えてくれる小我にとってあくまで心地よく甘く接してくれるマネーをどんなものよりも愛するようになり、マネーに支配される。そうしてマネーに支配された差別愛主義者は自らの利を最大化させることに一生を捧げ、世の中を地獄的に変えるのである。

そういうわけで理性ある人は無差別愛や正義を差別愛よりも断然大切にすべきなのである。

 

 

 

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