2024年1月31日水曜日

ファシズム、ナチズム克服法 3

 

さて、どうすればファシズムを克服できるかということについて考えてみる。

ファシズムというものは上述している通り民主主義(アメリカンデモクラシー)と同じように他人への敵意という感情を土台とした思想である。政治的な他人への敵意というものの本源には近代人を魅了してやまない幸福追求権というものがある。義理や人情などの面倒くさいことを考えず、ただ自分の幸せだけ、自分の利だけを追求する自由を政府が権利として認めたものを幸福追求権というのであるが、この自由、自己愛の解放と他人への敵意は表裏一体なのである。幸福追求権はマネーと同じように小人に対して、小我に対してあくまで甘くやさしい。が、しかし幸福追求権の中には一片の共同体感覚もない。つまり幸福追求権は人々を赤の他人への敵意に凝り固まらせるだけでなく、人々から共同体感覚を奪い、人々を家族や友人などの隣人とも無連帯にさせ、資本主義、マネーの支配をより強めてしまうのである。

上記のようなことを理解して、幸福追求権というものを政治的に認めなくなればファシズムは克服できる。(ついでに偽善に満ちたアメリカンデモクラシーも克服できる。)結局人生においては義理や人情などいろいろ面倒くさいことを忌避しようとすると、暗く冷たい社会をいつのまにかに作ってしまうものだという当たり前の真理に気づくということがファシズムを克服するということなのである。

ではどのような感情を土台としてどのような思想を持てばまともな国民国家を築けるかというと、弱者への共感、同情という感情を土台として格差の小さい、最小不幸社会を築こうと思えばまともな国民国家になれるはずである。政治というものはいつの時代の君主でも大統領でも領民のため、国民のため、つまり他人のためにする利他行為であって、自分や自分の党派の利の最大化のため、つまり利己主義に基づいてするものではないのである。

また国際政治経済的に言えば、搾取のない国際関係を作れば、ファシズム国家は340年で必ず自滅していくのでそれまでゆっくりと待つというのも戦略としてありうる。搾取のない世界ではファシズムとは決して持続可能な国家体制ではないからである。

また心理学的に言えば前章でも述べた通り、被害者意識に凝り固まった人が自らの差別愛と他人への敵意を強く正当化するので、国民一人一人がきちんと加害者意識を持てばファシズムは克服できる。

おそらくほとんどの人はファシズム政権下の暗く冷たい社会よりももっと明るく温かい社会に住みたいと思っていることだろうが、明るく温かい社会を築くためには一人一人が真のやさしさをもたなくてはいけない。そのためにはきちんと加害者意識を持つことによって多少自分の小我を自主的に傷つて差別愛の殻を破り、多少たりとも無差別愛を意識上に表出させなければならないということである。

また哲学的に言えば、死を重んじ、総体としての人生を大切にすればファシズムを克服できるともいえる。死を重んじ、総体としての人生を大切にすれば損得勘定だけを考えて生きることをやめらる。損得勘定だけ考えて生きることをやめれば、心にゆとりを持て社会全体の利を考えられる。社会全体の利を考えられれば正義(憎悪)を愛せ、弱者への敵意を持つ人を憎めるというわけである。

 

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