2024年1月31日水曜日

ファシズム、ナチズム克服法 2

 

さて、ここでファシズムの克服方法を考えてみる前に、ちょっと1930年代の大恐慌下、デフレ時代のファシズムと共産主義と民主主義(アメリカンデモクラシー国家)とこれから21世紀、スタグフレーション下において主流になるであろう中庸主義の違いについて分析しておこうと思う。

ファシズムというものは上述している通り、資本家及び健康な中産階級による、資本家及び健康な中産階級のための合理性の追求を正義として、その合理性を追求する原動力となる弱者への積極的敵意という感情を肯定する。

共産主義は中産階級と下層階級による中産階級と下層階級のための平等の追求を正義とし、その平等の追求のための原動力となる持たざる者の持てる者への憎悪という感情を肯定する。

民主主義は人権、自由、幸福追求権という偽善、きれいごとで身を隠しながらも、上級国民や資本家による、上級国民や資本家のための公正さの追求を正義とする。(ここでいう公正さとは、実力主義、弱肉強食の論理の全肯定である。つまり持てる者、上級国民などの強者は未来永劫勝ち続けるのが当然であり(なぜなら世の中は弱肉強食であるべきだから)、もし負けそうになったとしたらそれは世の中で何らかの不公正が行われているという価値基準である。つまり公正さの追求とは階級の固定化の追求ともいえる。)そして民主主義はその原動力として上級国民や資本家の中産階級や下層階級への消極的敵意(冷笑、軽侮)と自身の持っている卑劣さといった感情を肯定する。

上級国民や資本家の利益を守るために民主主義国政府は必ず中間搾取者を作り民衆を分断統治しようとする。日本を例にとるとまず日本のトップには米軍がいて、その下に明治維新以来の上級国民の朝鮮系日本人と第二次大戦後来た在日朝鮮人がいて(部落解放同盟や暴力団、民団、朝鮮総連など)、彼らが反体制派や独立派に対して集団ストーカーをしたり、精神病院に強制入院させ薬漬けにして廃人にさせたりするなど非合法的抑圧を担当する。さらにその下に警察をトップとする公務員や一流企業の正社員がいて非正規社員やシングルマザーなどに対して侮辱の限りを尽くし合法的抑圧をする。公務員は一流企業の正社員はその対価として高い給料と高い年金を保証され、また一流企業の正社員女性は長期間の有給育児休暇などのさまざまな福利厚生が認められている。(もちろん公務員の高い給料や高い年金、一流企業の正社員女性の有給の長期育児休暇の原資は非正規社員に対する苛烈な搾取から生まれていることについては読者も異論はないと思う。)また公務員や一流企業の正社員が贅沢して暮らさせること自体が、民衆の憎悪を米軍や朝鮮系日本人からそらすための統治戦術でもある。

大体このような統治システムにより日本では上級国民や資本家が永続的に階級を固定化させている。

中庸主義は99%の国民による、99%のための全体の利の最大化の追求を正義とする。ファシズム、共産主義、民主主義とも支持母体の利己的利の追求を正義としていたが、中庸主義はみんなの利の追求を正義とすることによって利己主義から解放されているのが前者たちとの決定的違いである。中庸主義はその全体の利の追求を可能にするために1%の上級国民や裏切者、フリーライダーや売国奴への憎悪という感情を肯定する。

そういうわけで、政治というものが明るく温かいなごやかな弱者にやさしい国家を作ることを目的とするものであったら、21世紀、もう発展途上国を搾取することができない状況下においては、憎悪を肯定する(つまりみんなの正義感が納得する)共産主義国家や中庸主義国家などの徳治国家が望ましいと言える。(敵意を肯定する民主主義国家、ファシズム国家などの功利至上主義国家というものはしょせん20世紀、植民地主義を肯定、正当化するために存在していたわけで、21世紀にこれらの体制で国家運営をするならば、恐怖によって社会を支配せざるを得ないということでもある。なぜならもう発展途上国から毎年搾取することによって本国にもたらされた富がなくなるから、みんなが自分の利の最大化を追求することを肯定する政治体制、他人への敵意肯定する政治体制ではみんなが納得する国家運営をすることは不可能で民衆の間に不平不満が充満するので、それらを抑圧するために恐怖政治にならざるを得ないからである。

どの体制を持った国家が軍事的に強いかというと、工業生産力が同じなら民主主義国家は偽善(きれいごと)をかなぐり捨てたファシズム国家には勝てないし、弱者への敵意に凝り固まったファシズム国家は持てる者への憎悪で凝り固まった共産主義国家には勝てない。なぜなら敵意というものは自分よりも圧倒的な弱者に対しては執拗で凶暴だが、自分と対等な武器を持っている者には弱いからである。対照的に憎悪は自分より強いものに対しても自分の命さえも顧みずに立ち向かっていく。つまりしょせん敵意は恐怖に基づく利己的で卑劣な感情であり、憎悪は大慈悲、正義感に基づく非利己的で高貴な感情であるということである。

共産主義と中庸主義が軍事的に見てどちらが強いかということは現時点では分からない。

GDP競争、経済戦争においてどの体制を持った国家が強いかというと、1930年代のデフレ下においては、つぶしあいを含むすべての自由競争を肯定する民主主義国家が最弱で、次に自由競争を完全否定する計画経済の共産主義国家があり、最強だったのは長期的視点に立った産業計画があり、かつ談合と切磋琢磨を推奨したファシズム国家だったというのが私の見解である。

第二次大戦後、ヨーロッパと日本の工業地帯が焼け野原になったことによりデフレが解消された後は、確かに自由競争を完全肯定する、第二次世界大戦で工業地帯が焼け野原にならなかったアメリカが勝ったように見えるが、これは対等な経済競争ではなかったし、もうファシズム国家もなかったのでここでは考慮しない。

21世紀これから始まるスタグフレーション下でどの体制の国家が強くなるのかと推測してみると、やはり長期的視点に立った産業計画があり、談合と切磋琢磨を推奨するファシズム国家と中庸主義国家が覇を競い合うものと思われる。

 

(明日に続く)

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