最後にフリーライダーを中庸社会に住まわせるわけにはいけない理由について語る。
公正経済システムの中にフリーライダーがいても公正経済システムは回るが、中庸経済システムの中にフリーライダーがいると中庸経済システムは致命傷を負ってしまうから中庸経済システムを公正経済システムと分けなければいけないという具体的理由もある。
フリーライダーとは具体的にどういう人を指すかというと非正規労働者を差別し侮辱することを生きがいとする正社員とか、部下の手柄を横取りし、自分の失敗を部下に責任を取らせる無能な中間管理職とか、経営陣の犬となりながら働かないで給料を取る労働貴族などである。要するに社会に何の益ももたらさない社会の寄生虫である。
公正経済システムの中ではこのようなフリーライダーも上位1%の公正経済システムの支配層に向けられるべき99%の大衆の憎悪を代わりに受け止めてくれる存在として支配層から肯定的に、もっといえばなくてはならないものと評価されている。なぜなら人類史上最悪の劣等民族アングロサクソンの得意な分断統治が現在の金融資本主義、株主資本主義に最適化しているのを見ても分かる通り、社会をいくつかの階層に分け常に争わせていることは公正経済システムを平和的に維持させるためにはもっとも効果的な手段だからである。
中庸経済システム内のフリーライダーとは抽象的にどういう人を指すのかというと、中庸な社会、全体の利を最大化しようとする社会、みんなで幸せになろうとする社会において一人、社会に積極的貢献をしようとせず、いつまでも被害者意識に凝り固まり、被害者意識から自己中心的な思考をすることを正当化し、ずる賢く世間を立ち回ろうとし(つまりできるかぎり自分に与えられた仕事をさぼろうとし、)被害者意識から生じる社会への敵意、社会への復讐心から中庸な社会の要であるみんなの共同体感覚を常に傷つけよう、破壊しようとする人のことである。
なぜ被害者意識に凝り固まる人がフリーライダーになるのか、また被害者意識に凝り固まった人がなぜずる賢く立ち回ろうとするのかそして中庸の徳の天敵となるのかということについてすこし詳しく説明しよう。
被害者意識に凝り固まった人はすでに述べてある通り必ずこの世は自然も人間同士もお互いに殺し合い、奪い合い、騙しあう弱肉強食の恐怖に満ちた世界だと確信しているから、彼はこの世界に心底恐怖し、そして心が恐怖に満たされることにより、何としてでも、どんな手段を使ってでも、この世に一秒でも長く生きようとする盲目的生の意志、執着を逆説的に強く持ってしまう。そしてその生きることに対する意志、執着が彼に良心を捨てさせ、他人への敵意を基盤とする損得勘定と公正さという徳を強く愛させるようにさせる。
損得勘定と公正さを強く愛する彼は、受験勉強を人生最大の試練と考えるようになり、猛烈に勉強する。そして運よく一流大学に入り、そして一流企業に行けたら、二流企業以下の労働者を心底馬鹿にしながらそれなりに裕福で平凡な人生を送る。だが大学受験に失敗して二流企業以下の大学しか行けず、二流企業以下の会社に勤めるようになったら、彼は自らを敗者だと思い、生きていくことになる。
そこで彼が社会の片隅で敗者としてひっそりと生きてくれるならそれでいいのだが、多くの場合そうはいかない。彼は敗北した原因を考える。自分以外の誰も本当の意味では愛さず、自己中心的な損得勘定だけで算盤をはじいて生きてきた、にもかかわらず自分は負けた。つまり自分は人間の屑でしかも低能だと心の奥底では確信しているのだが、それをはっきりと認めたくないため彼は周りの人間は彼よりももっとずるく、利にさとく、他人を敵視していた。つまり彼は相対的に善良すぎるから負けたのだと思うようになる。そして彼は前よりももっと悪質で、他人や社会への復讐心をもっと持ったフリーライダーを目指すようになる。自分より弱いものが身近にいたら必ず虐め殺そうとするようになるし、人を騙して不幸にさせようとも自分が一円でも多く儲かるように行動するようになる。彼は、他人を批評することが、奴隷商人が奴隷を敵意をもって値踏みするように、好きになる。そうなると他人が自分に話しかけてきたとき、相手も敵意をもって自分を値踏みしているのではないかと思ってしまう。そういうことで彼は会社内でも同僚と表面的な情報交換や情報の共有、連帯でさえできなくなる。
また被害者意識の強いフリーライダーは自分より立場の強い人には卑屈に接し、自分より立場の弱い人に対しては横柄にふるまい、パワハラを好み相手に屈辱感を与えることによって相手から心の余裕や心のゆとりを奪おうとする人であるともいえる。死に対する恐怖という感情に基づく損得勘定の価値観から考えて自分の利を最大化しようとすると目上に卑屈で、目下に横柄にふるまうことが正しいこと、幸せなことと思えるからである。人と対等に接することができないそのような性格も中庸な社会の共同体感覚をいちじるしく傷つけるといえる。
また中庸な生活はみんなで話し合って任意的積極的努力により、つまり自由意思でボトムアップにつくるものだが、公正な社会は基本的に支配者がトップダウンで強制的命令的に作るものである。そういう面から見ても中庸経済システムの中において恐怖による強制力がなければ働けないフリーライダーが存在する余地はないとも言える。
つまり中庸経済システムにおいては公正経済システムとちがい、共同体のメンバーが各自連帯感、共同体感覚を持っていることが中庸経済システムを維持させるための絶対条件だから連帯感、共同体感覚を持っていないばかりか他人の連帯感、共同体感覚を壊そうとするフリーライダーは中庸経済システムの天敵として中庸経済システムから排除しなければならない人となるわけである。
一応終わり