2019年5月14日火曜日

統合失調症完全克服マニュアル 2


 

 

 心の意志化は忍耐と努力によってなるが、なぜ人がそれほどまでに過剰に忍耐と努力をするかといえば心の中にあるなんらかの価値観に強く執着しているからである。

 愛に美しい愛と醜い愛の二種類があるように、執着にも美しい執着と醜い執着の二種類がある。一般的に醜い執着を持って統合失調症になった人は予後不良になりやすく、美しい執着を持って統合失調症になった人は予後良好となりやすい。美しい執着としては、夢や志といった目標を持って生きていこうとする執着がある。正義や理想を愛し、たゆまぬ努力をする人もいるだろうし、自分の心の描く完璧な人間のあり方を追求して臥薪嘗胆するひともいるだろう。この手の人たちがもちろんすべて統合失調症を発症するとは限らないが、この手の人たちは必ず若い頃多大なストレスにさらされる。例えば正義を愛する人を例にあげるとわかりやすいが、正義を愛する人は必ず、私は正義を愛する、だから私は正しい、と判断する。そして私は正しいという判断から、私は間違っていない、私は無謬である、という判断をしてしまう。そして私は無謬なのだから、あらゆる外部から来るストレスは間違っている、だからそれに対して決して受け流さず、正面から受け止めることが正しいことなのだ、と思ってしまう。そういうふうにしてこの手の人たちの心は多大なストレスを受け、意志化する。私は正義を愛しているから悪を愛してはいないと思うことは正しいが、私は正義を愛しているから私は無謬である、ということは間違いであることに若い頃は気づかないのである。

 醜い執着の代表例としては、無意識下の死に対する恐怖を決して正面から見つめようとせず、何が何でもそれを避けようとして、ともかく外的安全を目指し、少しでも社会的高い地位につこうとする執着がある。この執着を持つ者は一流大学に入らない人は社会的敗者だと思い死に物狂いで受験勉強したりする。また運良く希望通り一流大学に入れれば、そういう人は自分より学歴の低い人を人間扱いしない非常に傲慢な人間に必ずなる。一流大学から一流企業に入った際は、今度は自分より低所得者はすべからく努力不足による自己責任であると確信し、この現代資本主義社会の歪みを決して認めようとはせず、国内の格差にも国際的国家間の格差にも、資本家でもないのに資本家よりもさらに強く肯定し、格差を公正なものだと思いこみ、居直る。そうしてそういう歪んだ価値観を持っていることにより人から嫌われ、ストレスを溜めていく。

 またそういった歪んだ価値観に執着しながら一流大学に入れなかった場合、一流企業に入れなかった場合はそういう人たちは敗北感と無力感にさいなまされ、一流大学に入れなかった他人、一流企業に入れなかった他人を極度に蔑視するだけでなく、それ以上に自分自身を蔑視し、引きこもりになったり、ならずに社会に出て働いたとしても決して自分の殻から出ず、心理的に引きこもって生きていき、さらにストレスを溜めていく。

 また最悪の執着としては無意識下にある死に対する恐怖から自分を守ろうとするあまり、自己愛、利己心に強く執着して、結果世間や他人に過剰な恐怖心を持ち、世間や他人を極めて危険なものだと判断し、それに対抗するため世間への、他人への一般的敵意に意識的に強く持ち(いわゆる爆発系、被害妄想系となって)、結果世間から他人から嫌われ排除され、ストレスを溜めていくものがある。爆発系や被害妄想を抱く患者はその他罰的で攻撃的な性格にかかわらず必ず強い被害者意識を持っている。どうして強い被害者意識を持っている彼らが攻撃的かというと、安全を過剰に求めるあまり他人に強い恐怖心を持ち、それゆえ自分が他人を攻撃しなければ必ず他人から攻撃されるという確信を持つことになり、攻撃は最大の防御という格言に従い攻撃的になるからである。
※ 爆発系とは他人に暴言をはいたり、暴力をふるったり、身近なものを手当たり次第に破壊するタイプの統合失調症患者である。

確かに健常者でも利己的で他者に対する一般的敵意を強く持っている者もいるが、そういう人は、部下へのパワハラや弱いものいじめなど自分が安全なときだけ他人への敵意を強く表明するが、普段自分の立場が危険になりそうな時は自らの利己心を抑えることができる卑怯さ、小心さを持っている。被害妄想、爆発系が自らの利己心を抑えきれないで他人への無差別の一般的敵意を表明してしまうのとはそこが決定的にちがっているのである。

 統合失調症を治すためには心の意志化を解かなければならない。心の意志化を解くためにはある種の執着を捨てなければならない、執着を諦めなければならない、ということは上述した事により分かってくれたであろう。理論的にはこれで統合失調症は治るが、臨床面ではこれに加えて薬と各自の自然治癒力を引き出すことができれば治ると言われている。薬、抗精神薬とはどういうものなのかというと、基本的に人を無気力にさせる薬である。人を無気力にさせ、そのことにより意志化した心を緩ませ、感情と知性と意志がもつれからまって硬くなった心の核をほどきやすくするというのが抗精神薬の役目であると私は思っている。自然治癒力とはどういうものかというとあらゆる病気を治すために人にあらかじめ備わっている力である。あらゆる薬、手術は自然治癒力を補助、補完するものにすぎないのは医学的常識であるが、精神病の場合、心の混迷と衰弱とともにこの自然治癒力が弱まってしまうので、意識的に自然治癒力を高めるような心理状態を作り出さなければいけないため、あえて精神病の場合は自然治癒力が大事であると言われているのである。

 ここで自然治癒力についてざっくりと述べておきたい。まず自然治癒力が弱い人はどのような人かというといつも過度に緊張していて心のゆとりのない人である。統合失調症をこじらせる人、予後不良になる人はどのような人が多いかというと、圧倒的に被害妄想系、爆発系、が多い。彼らはどのような人間かと一言で言うと利己的な人である。利己的だからゆとりがないのか、ゆとりがないから利己的になるのかは、鶏と卵のような関係でどちらが先ともいえないが自然治癒力の弱い人はともかく利己的で、強い被害者意識を持っているということは確実に言えることである。ゆえに自然治癒力を高めるためには利他的になり、被害者意識を捨てればよいわけであるがそれがなかなか難しい。なぜならそのためには個人的な幸福追求をすることを止めなければならないからである。なぜならそうでなければ利他的に、真に自然体にはなれないからである。つまり人並みに幸せになりたいという執着を捨てなければならない。ここで自然治癒力を高めることと統合失調症を心理学的に理論的に治すことは基本的に同じことだということが分かる。つまり執着を捨てるということが統合失調症を理論的に治すことにも自然治癒力を高めることにもつながるのである。

 人並みに幸せになりたいというこの生きていく上で基本的な執着を捨てるにはどうすればいいのか、というと結論から言えば捨て身になって生きていこうと思うことによって捨てることができる。

 詳細は各論で語るが、統合失調症を治すためには人並みに幸せになりたいという執着を捨てなければならない。そのためにはどうしても捨て身になる必要がある。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、ということわざもある通り、捨て身にならなければ利他的になれない、リラックスできない、ゆとりを持てない、ゆえに自然治癒力を高められないからである、ということをざっくりと語っておいてここで総論は終わる。

            明日に続く

 

 

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