2019年5月12日日曜日

自由について 5


私見によれば、新たな奴隷制社会、ファシズム社会を回避するためには、おもいやりのある自由、という新たな自由という概念を持つようにすればいいのである。

哲学的に言えば共同体の基本理念である、集団主義的な助け合い、団結という善の美徳と個人主義的な近代的自由という中庸の美徳との中間におもいやりのある自由という美徳は存在する。

4・図5・図6を見る。

 そもそも近代的自由とは前にも書いたとおり恐怖による支配からの離脱、何者にも自分の人生を屈辱的に支配されない自由がその本質である。つまり近代的自由を愛しながら労働という社会貢献(利他的行動)と生活費の獲得(知足に基づく利己行動)の双方に本質を置く中庸の美徳を愛することは十分可能なのである。労働で得た金銭の範囲内で適度な性欲の解消や死に対する恐怖、生きんとする意志の表現、解放することは中庸であるし、積極的に肯定されるべきものなのである。もちろん、その労働はパワハラなどの過度な屈辱感のない、そして適度な休日のあるものであることは言うまでもない。古代や現代の奴隷制度や準奴隷制度に基づく汚らしい1%の市民のための自由を求めるのではなくて私たちは新しい、自分の体重を自分で支えることを厭わない独立自尊の気風を持った99%の市民のための自由を求めるべきなのだ。そのためにはパワハラを裁く法律を制定すべきだし、ブラック企業をなくす努力を真摯にすべきなのである。また他人に恐怖によって支配されたくない、他人に敵意を向けられたくない、他人に尊重されたいと思うなら、そのためには自分にも他人を恐怖によって支配しない、他人に敵意を向けない、他人を尊重する、つまり己の欲せざる所、人に施すことなかれ、という礼の心が求められることはいうまでもない。

また心理学的に言えば、人は朗らかなとき、自由を感じ、憂鬱なとき、不自由を感じる。個々人が朗らかである時は、そのような個々人によって構成された社会は必ず安らかでお互いを助け合い、協力し合う社会であろうし、また逆に、個々人が朗らかであるためには、その所属する社会は安らかでなければならないし、安らかな社会であるためには相互扶助のあるお互いに友愛により協力し合う社会でなければならない。

ゆえに我々はまず相互扶助のある協力し合う安らかな社会を作ることをまず目指すべきなのであり、お互いへの恐怖心、敵意を煽って競争させたり、自己責任論を庶民に強制させたり、下積みの生活をしながら、憂鬱で無気力な、自分を無価値だと思う庶民を作りだすべきでないのである。そのためにも労働という健全な中庸の美徳の中に助け合いと他者への協力を見出し、それを積極的に愛することによって奴隷制度を否定しながら自尊心と勇気を持ち、安らかな社会を追求する、個々人を朗らかにし、思いやりのある自由という新たな自由を得られる社会を築くことを目指すことが必要なのである。









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