総論
統合失調症について語ろうと思う。なぜ語るのか? なぜ私が統合失調症についてかくも詳しいのか? などという野暮な詮索はしないでくれたまえ。まぁ、ともかく統合失調症について語る。
現在の医学的常識に反するが、私は統合失調症は基本的に心理学的病であると主張する。
人はなぜ統合失調症になるのか? それは強いストレスに長期間さらされて心が意志化するからである。心の意志化とはどういうものなのかというと、健全な人の心には感情的部分と意志的部分、知性的部分があるが、その心が強いストレスに長期間さらされると感情的部分が機能停止しストレスを受け流そうとせず、ただひたすら忍耐または努力によって、すなわち意志の力によってそのストレスを正面から受け止めようとすることによってなる。これが心が意志化するということである。
健康な精神状態である人が短期間の弱いストレスを受け取る時の対処方法は、通常3つある。心にゆとりがたっぷりある時は最善の対処方法としてストレスとなった原因、問題点をつきとめ、それの解決方法を考え知的に解決しようとする方法がある。また心にゆとりがあり、知性的解決方法が見つからない場合には、しなやかにストレスを受け流すこと、または寛容の心を持って他人を許すことによって感情的に解決することもできる。心にゆとりがない時、焦っている時だけ、何か切羽詰ったような強迫的感覚を抱きながら、忍耐や過剰な努力によって心を硬化させて意志的解決を図ろうとする。このことからもストレスを真正面から忍耐または努力によって受け止めようとすることが上策でないことが分かる。
また強いストレスに長期間さらされた時、心の知性的部分はどうなっているのかというと、心の知性的部分には自分のすでに作られた価値観、信念に基づいて頭で合理的に単純計算して行動を選択していく部分と、環境に適応する新たな価値観、信念に更新しようとたえず考え続ける部分があるが、強いストレスを長期間受けると新たに自分の価値観、信念を更新しようと考える部分が停止して、すでに作られた価値観、信念で合理的に単純計算して行動するだけの知性だけが働いている状態となっている。すでに作られた古い、現実に適応していない価値観、信念で判断して行動を選択してゆえに、どんどん間違った方向に進んでゆき、失敗に失敗を重ね、さらにストレスが溜まっていき、そのストレスが価値観、信念を歪ませ、さらに現実に適応しない価値観、信念となっていくが、当の本人はストレスにより盲目的になりさらにその歪んだ価値観、信念に執着しようとする。現在の自分の価値観、信念を守ることが自分を守ることと同義だと思うからである。
統合失調症は現代的精神病であるが、現代の、歴史的に見ても過剰な競争社会が人々に生物としては不自然で過剰な忍耐と努力をさせたことにより、統合失調症がかくも増えたものと思われる。中世以前は大多数の人が農民だったわけだが、農民はあまり努力しなかった。なぜなら農民は隣の家の農民の2倍働いても、耕作面積が同じなら、収入は1.2倍にもならないからである。だが、現代の学歴社会では学生時代、普通の人の2倍の勉強時間を取れば、将来安全で楽で手を汚さない仕事をしながら、普通の人の3倍、4倍の所得を得ることができる。ゆえに現代はみんながみんな人の2倍の努力をしようとして過剰な競争社会になっているのである。
以上のことから、統合失調症を治すことは理論的には簡単である。統合失調症が心の意志化によりなるのであるなら、心の意志化を解いて、感情と知性を取り戻せばいいだけの話だからである。だが、強く強く固結びされた紐をほどくのが理論的には簡単でも実際は至難の業なのと同じように一度意志化された心にもう一回やさしい感情や合理的単純計算ではなく一から自らの価値観を構築しようと考えるゆとりある創造的知性の力を取り戻すことは極めて難しい。統合失調症患者の病的なまでに意志の強そうな目が再びゆとりあるやさしい光を放つところを想像することが極めて難しいことがなによりもそれを雄弁に語っている。
明日に続く
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