2019年5月3日金曜日

中核信念 3


直接的ストレス耐性とは何かというと、短期的、直接的に外の世界から受けるストレス全般に自分を曲げずに保っていることができるか、否か、ということである。直接的ストレス耐性とは精神的強さに関わることである。私は強い、という中核信念を持つ、高貴と傲慢な者がこの場合、ありとあらゆるストレスに耐え、断固としてストレスに屈せず自分を曲げずに自分を保つことができる。短期的、直接的ストレスに対しては、私は強い、という信念を持っている者が事実一番強いのだ。私は高貴だ、という中核信念を持つ者は自分を信じて忍耐できるし、私は傲慢だ、という中核信念を持つ者は決して自分を省みず、自分を曲げないからである。また高貴な魂を持つ人は高貴な行動をすることにより、より高貴さを強化し、傲慢な人は傲慢な言動、行動をすることにより、より傲慢さを強化し、強くなることも心理学的に自明なことだとされている。

次に自尊心の高低について語ろう。自尊心の高低は精神的強さ、精神的健全さ、双方に関わってくることである。私は正しい、という中核信念を持つもの、つまり高貴な人間と柔弱な人間は、私は価値がある、と即時的絶対的に確信して自尊心が高く、私は悪党だ、という中核信念を持つ者、つまり傲慢な人間と卑怯、卑賤、俗悪な人間はどうしても自分に価値があるという絶対的確信が持てず、もっと正確に言えば自分は無価値だ、と思ってしまい自尊心が低い。

なぜ自尊心の高い人が精神的に強くなり、健全になるかというと、自尊心の高い人は自分に自信があるので、向上心を持ってリスクのあるチャレンジができるからである。向上心を持ってチャレンジをすることにより、短期的に見れば失敗することもあるが、トライアンドエラーで仕事においてのノウハウが蓄積し、人間的にも成長し、自信を持ち、自信を持つことによりさらにチャレンジできるようになる。だから、長期的に見ればかなり高い確率でチャレンジしなかった人に比べて成功し、自信を持つ。そして成功することにより、または成功せずとも人間的に成長し、精神的に強くなり、健全になるのである。

向上心を持ってチャレンジすることとは、別の言葉で言えば、理想(志)を持って現実に葛藤し、奮闘することである。人間は性欲や食欲、睡眠欲の充足といった現世的現実的欲望の充足の追求のみをする生活のなかでは自分を正しいとは思えないし、自尊心を高く持てない。理想を持つこと、志を持つこと、つまり自分に期待することこそ、自尊心の本源なのである。人はお互いに愛し合い尊重しあって生きていけるはずという無条件の期待を持っている。その期待が自分に向けられた時、その期待に応えようと理想に憧れ、志を意識上に持つのである。志を持っている人だけが生きがいのある人生を送り、魂の充実を感じてさらに精神的に強く、健全になる。

また自尊心の高い人は、自分に価値があると絶対的に確信している人であるから、学歴や富、社会的地位など世間の作った相対評価などで低く評価されてもあまり気にかけない。つまり自尊心の高い人は虚栄心が少ない。その面からも自尊心の高い人の精神的強さ、精神的健全さは補強される。納得のいく人生を送るためには他人や世間にどう評価されるか、といった相対評価、つまり虚栄心ほど有害なものはなく、自分の人生を自分で決め、自分の人生を自分のものだと思い、自分の人生を自分で評価する絶対評価基準を持つことこそ、つまり自尊心ほど有益なことはないからである。ちなみに自尊心の本源が理想を持つこと、志を持つことなのに対して、虚栄心の本源は自らが悪党で絶対評価では弱い存在だと思っているにもかかわらず、他人を馬鹿にしよう、見下そうとする心が本源である。つまり死に対する恐怖で無意識下の心が満たされ、その恐怖感が意識上に浮上した時、他人に対して、世界に対して無差別の恐怖感を抱くようになる。その恐怖感を解消しようとして他人を世界をなんとか取るに足らない卑小な敵だと思い込もうとし、それにより安心感を得ようとする。そのために他人を見下そうとするのである。つまり他人に対する敵意を結晶化させ、それにより自分を守ろうとした時、それが虚栄心となるのである。

そして自尊心の高い人の最大の長所といえば、自尊心の高い人は自分に対して価値があると思い、絶対的自信を持っているので人生において長期間逆境に置かれたり、大きな困難に立ちはだかれたりしても、決して投げやりにならず、粘り強くその逆境下で努力でき、困難に立ち向かう勇気を失わないことが挙げられる。心理学的に、成功する人の一番の特徴は才能でも幸運でもなく、失敗しても何度でも立ち上がること、つまり粘り強さだ、と言われている。つまり自尊心のある人は成功しやすい人なのである。

また自尊心の高い人は過度に通俗的幸福を求めることがないので、正しい道と幸福になる道が二つに分かれているように見えたら、正しい道を選ぶことを厭わない、不幸になることを恐れない。過度に幸福になろうと思わなければ、また不幸になることを恐れなければ、ずいぶん人は心に余裕を持てる。自尊心の低い人と高い人のちがいは、前者は恐怖から不幸から逃げようとする者であり、後者はそれらを克服しようとする者なのであるともいえよう。

そして私の人生経験から言わせてもらうと、真の不幸とは絶望すること、つまり心の中が恐怖心でいっぱいになることなのである。恐怖心というものは恐れば恐るほど増大するものだと心理学的に実証されている。ゆえに目の前の恐怖から逃げ出そうとして、より自らの恐怖感を増大させてしまう自尊心の低い人は本当は克服しようと立ち向かう人より不幸なのである。

そしてまた才能とは自分自身を、自分の力を信じることだ、とゴーゴリーも言っているが、十年、二十年先にやっと達成できるような長期的目標を立て、自分自身を信じ、ありとあらゆる困難に耐え堅忍不抜の精神を持って一歩一歩目標に近づいていけば、才能などとは後からつくられていくものなのだ、と私も主張する。

最後に自尊心が高い人、自分に自信がある人は必ず自分に余裕があり、他人に対して大慈の心を持って接することができる人である。初対面の人にも期待を持って接し、相手が期待に応えてくれたら、期待を信頼に変えることができる人である。つまり良い友を持ちやすい人である。精神的強さ、精神的健全さにとって何が大事かといえば、結局のところ良い友達を持つことが一番大切なのである。

自尊心の高い人が、精神的強さ、精神的健全さを持つという説明はこのくらいにしておくが、次に自尊心が低い人が、いかに精神的に弱く、精神的に不健全であるかということについて語ろう。

           明日に続く

 

0 件のコメント:

コメントを投稿