各論
急性期における統合失調症の克服
統合失調症を発症すると2.3日の不眠の後、まず急性統合失調症状態となる。急性統合失調症状態とはどういうものかというと、超覚醒し、または悪夢の現実化のような強い妄想にとらわれ、他人から見て支離滅裂なキチガイじみた行動をする時期及びそのあとの、少し落ち着いて強い恐怖感を伴う幻聴や幻覚に悩まされる時期のことである。
幻聴はおもに2種類の声が聞こえる。一つは「お前を殺してやる」といったような悪魔の声のような強い恐怖をともなう脅迫的幻聴と、もう一つは「あきらめるな。絶対あきらめるな。我慢しろ。忍耐しろ。(我慢すれば絶対治るから)」という神の声のような命令的幻聴である。はじめのうち統合失調症患者のほとんどすべての人は、信じる人は救われる、と思い前者の声におびえながらも、後者の神の声のようなものにすがって幻聴のもたらす恐怖に負けまい、恐怖に立ち向かおうと思う、ともかく我慢しよう、現在の自分を守ろうと思う。つまり強くあろうとする。幻聴、幻覚に耐えること、自分を曲げないことが強さだと思い、かつ強くあることは即時的に正しいことであると思い、恐怖に屈して自分を曲げ、自分の弱さを認めることは卑怯で悪いことだと思う。私の知り合いでかなり激しい急性期統合失調症状態で3ヶ月ほど保護室にいたことのある患者は、聖帝サウザーのように、退かぬ! 媚びぬ! 省みぬ! と、起きてから寝るまで最初の1ヶ月、ずっとブツブツつぶやきながら自分の弱さを決して認めず、自らの精神的強さを信じ、必死で自分を曲げないこと、現在の自分を守ることに固執していた。(笑)
閉鎖病棟の保護室の中に隔離され、2種類の声を聞きながらすべての統合失調症患者は自分なりになぜ今自分が精神病院の一室で社会的に完全にドロップアウトしてしまって幻聴幻覚に悩まされているのか、何か他の人たちがやらないとてつもない悪いこと、まちがったことをしてしまったのかというような精神病になった原因を過去を振り返りながら延々と見つけ出そうとし、なんとか幻聴、幻覚を消す解決方法を考え出そうとし、恐怖から逃れる方法を発見しようとする。だが1ヶ月、2ヶ月経つと(閉鎖病棟の保護室の1・2ヶ月は健常者が普通の社会生活を1・2年送るのと同じくらい長い)、大部分の統合失調症患者は何をどう考えても幻聴、幻覚から逃れる方法を見つけられず途方に暮れて、まるで解なしの問題を必死になって解こうと考えているような絶望的な気持ちになってくる。
結論から言うと、悪魔のように聞こえる幻聴も神の声のように聞こえる幻聴も双方まちがっているのである。幻聴、幻覚を消す正解を見出した後にはあれらは双方悪魔の声だったのだ、と心から思うことになる。幻聴、幻覚を消す正しい解決方法はどのように見出されるのかというと、それは何か自分が新たな行動をすることにより、または自分の心の中に何か発見をすることにより見出されるのではなく、自分自身が変わることにより見出されるのである。今現在の自分自身でありつづけようという執着を捨てることにより解決するのである。今の自分を捨て、新しい自分に変わる勇気を持つことによって解決するのである。端的に言えば、総論でも言ったように捨て身になって、自分の弱さを認め、または自分が変化することを恐れない強さを身に付け、最終的には柔弱という中核信念を持てば統合失調症は治る。つまり神の声のように聞こえる幻聴のどこがまちがっていたかというと、「あきらめるな。絶対あきらめるな。我慢しろ。忍耐しろ」という命令的声に従わせて現在の自分に執着させ現在の自分をかたくなに守らせようとさせるところがまちがっていたのである。自分自身が変わることをかたくなに拒否させようとするところがまちがっていたのである。幻聴、幻覚に耐え、現在の自分を守りぬくことが精神的強さであり正義であると思い込ませるところがまちがっていたのである。
こと統合失調症に関しては信じるものは救われないのである。だいたいよくよく考えれば悪魔は命令するが、本当の神様はやさしくアドバイスしてくれることはあっても命令なんてしないものである。奴隷的人間、恐怖に支配されやすい人間、他人や世間の目を過剰に気にする人間、つまり他人の命令をよくきく人間に悪党が多いことからも常識的にそのことが分かる。
実際問題として急性期に幻聴、幻覚を消すために何をすればいいのかというと捨て身になって抗精神薬を飲むことである。抗精神薬を飲めさえすれば幻聴、幻覚は消える。もしこれを読んでいる健常者の読者がいるならば、なんだ、そんなことか、と拍子抜けするかもしれないが、抗精神薬を飲むということは風邪薬を飲むこととはちがいそんなに簡単なことではないのである。はじめの一度目は誰でも簡単に抗精神薬を飲むことはできる。が、二度目、三度目に抗精神薬を飲もうとすると生物としての自分が全力で自分の心に「やめろ。絶対飲むな。それは猛毒だぞ。その薬を飲むとお前は死ぬぞ」と強く語りかけてくるのを直感的に感じるから抗精神薬を継続的に飲むことは難しいのである。そしてまたその抗精神薬は猛毒であるという直感は誤解ではなく、生物として正しい直感であるということが抗精神薬を飲むことをさらに難しくさせているのである。抗精神薬の副作用は大きく分けて四つある。一つ目は抗精神薬を継続的に飲むと最初の1・2年は認知能力がガタンと落ち、かつ無気力な廃人状態となることである。実際どの程度認知能力が落ちるかといえば、コンビニエンスストアで763円の買い物をした時、1063円を払えばきっかりしたお釣りをもらえることは分かるが、それがいくらになるのかはわからないくらいはじめの一年くらいは認知能力が落ちる。また無気力になることは前述してあるとおりこれは意志化した心を解きほぐすための抗精神薬の主作用とも言える。むろん1・2年経てば徐々に認知能力も気力も戻ってくる。私見を言えば個人差はあるが、3・4年経てば気力は元の水準に戻り、認知能力は7・8年経てば完全に元の認知能力に戻る。二つ目は継続的に飲むと将来的に認知症になる確率が高くなることがあげられる。三つ目は継続的に抗精神薬を飲むと実際寿命が縮まることである。一度でも抗精神薬を飲んだひとが、2度目、3度目の抗精神薬を飲む時、この薬を飲むとあと5日後には確実に死ぬ、とか直感し、その日強引に飲んだ次の夜に飲む時はあと四日で確実に死ぬと直感し、その次の夜はあと3日で必ず死ぬと直感するがそれは間違いであり、実際はもっと長く生きられる(日本の統合失調症患者の平均寿命は64歳である。健常者の平均寿命と比べ15歳ほど短いが、まぁ64年生きられれば十分といえば十分な寿命であるともいえる。しかし40歳くらいでも抗精神薬を飲んだことが原因で死ぬ人は結構いるので、やはり抗精神薬を飲むからには、もういつでも死ねるという心の準備はしておかなくてはいけなくなる。10年、20年先のことを考えた長期的計画、志、夢というものを真剣に持つことを半分諦めなければならないということは10代、20代で発症した若者にとってはかなり辛いものである)ちなみに何日間か抗精神薬を強引に飲んだあと、この薬を飲めば今夜必ず死ぬ、明日の朝は絶対迎えられないと直感確信する日が来る。その夜、その直感確信を無視して抗精神薬を強引に飲むと、次の朝目覚めてみるとほとんど幻聴、幻覚から解放されて見違えるように回復している自分を発見することができる。この薬を飲めば今夜確実に死ぬと確信する時が急性期統合失調症の峠なのである。四つ目は抗精神薬を飲むと精神的に弱くなり(このことも心の意志化が解け、心が柔らかく感情的になるという抗精神薬の主作用ともいえるが)そして疲れやすく、かつ疲労の回復スピードが遅くなり、もう人並みに週5日フルタイムで働くことは基本的にできなくなることである(無理したら2・3年は週5日フルタイムで働くことはできるが、その後は疲れきって仕事を辞めてしまうか、最悪心が再び意志化して統合失調症が再発する)健常者の読者諸君には分からないかもしれないが、この四つ目の精神的に弱くなるという副作用こそが統合失調症患者が抗精神薬を断薬する最大の理由なのである。精神的に弱くなるとは一概にどの程度弱くなるのかというと、生物として一人で生き抜くために最低限必要な強ささえ失うほど弱くなると考えてくれればいい(そのため統合失調症患者のほとんどの人は精神障害者手帳を持っている)。生物として一人で生き抜くために最低限必要な強ささえ失って生きていく不安感はどの程度のものかというと、大体5歳くらいの幼児が親に捨てられて道端で途方に暮れている不安感と同等程度のものだと想像してくれればいい。
上記の抗精神薬の副作用は閉鎖病棟の保護室に隔離されている患者には説明されず、医者や看護師からただ「この薬を飲めば幻聴、幻覚が消えますよ」と言われて飲まされるわけだが(副作用を説明したら誰も抗精神薬など飲む人などいなくなる)、誰にも副作用について教えてもらわなくても多くの患者は人間の持っている生物としての基本的防衛本能から抗精神薬を飲むことを全力で拒否しようとする。
明日に続く
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